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2009年7月

我がインド料理バイブル

日本でもインド料理屋さんは今やかなりの普及率で、ちょっと郊外に行っても或いは地方都市でさえ、インド人によるインド料理屋さんを見かけるまでになった。
インド料理のカレーと日本のカレーが違うということを知らない人もさすがに少なくなり、かなり「市民権を得た」と言っても良いのではないかと思う。

が、いざ作るとなると、スパイスがたくさん必要でその調合が難しく、家庭では無理だと最初から「家で自分で作る」などということは考えたこともない、という人が多いのではないだろうか。

ワタクシは、その誤解を解きたい。
そして、この本を推薦したく思ふ。

それは、ロイチョウドゥーリ・ジョイ/ロイチョウドゥーリ・邦子著『インド家庭料理入門』。
ベンガル出身のジョイ氏と、信州出身の奥様邦子さんによる共著で、読み物としても大変面白い。

この本の良いところは、ジョイ氏が、レストランで修業をした料理人というわけではなく、彼の生まれ育ったベンガルの実家の「母の味」やご友人の家庭で御馳走になった料理が紹介されているということだ。

スパイスの種類も、にんにく、しょうが、胡椒といった日本の家庭ならどこでもあるものに加え、レッドペパー、ターメリック、クミン(ホール/グラウンド)、ローリエに、あとはガラムマサラ(グラウンド)くらいで出来てしまうものも多い。
野菜が多く、油っぽくなく、ヘルシーで、スパイスの香りが食欲をそそる。
辛さの調節はレッドペパーですれば良いので、辛いのが苦手でも全然OKなのです。
カルダモン、クローブ、シナモンがあれば、簡単にチャイもできます。

この本に従って、レンズ豆のカレー(ムシュール・ダール)を作ってみよう。或いは、カッテージ・チーズとほうれん草のカレー(パラク・パニール)でもよろしい。
鍋に油とスパイスを入れて熱し、野菜を投入して炒めていくにつれ、「こんなに少しのスパイスで、何かレストランみたいな本格的な香りがしてきた~!」と驚くでせう。で、食べるとこれが旨い!

さて。家で自分で作ったインドカレーを食べるのに慣れた頃、インド料理レストランに行ってみると、美味しい!が、「えらいこってりしてるなあ」と思う筈。

インド料理におけるスパイスとは、インドの伝統医学、アーユルベーダに基づいて料理に使用されているので、医食同源、健康に良いとされている。
が、インドでは一般的に「レストランの料理は舌(おいしさ)のため、家庭料理は健康のため」と言われているのだそうで、レストランの料理では、濃厚な味付けにする為にスパイスや油をかなり使っており、リッチで美味しいけど重いので、必ずしも身体に良いわけではないようだ。

家庭で作るインド料理に慣れると、多分それが実感されると思います。

この本の前半三分の一くらいは、邦子さんによるインドホームステイ体験や、インド人の旦那様との日常生活など、著者の体験に基づいた様々なインド文化が紹介されていて、インドが身近に感じられることになるのは間違いなし!

ワタクシ自身もこれを読んで、自分も数ヶ月、インドにホームステイしたいと、かなり本気で思いました。
そして、実はまだ諦めているわけではなかったりして。(笑)
是非是非、チャンスがあれば40歳になる前に、インドでホームステイや~~~sign01
…と、野望の炎は消えることはないのでした。

インド家庭料理入門―アーユルヴェーダで食べる朝昼夕晩

著者:ロイチョウドゥーリジョイ,ロイチョウドゥーリ邦子

インド家庭料理入門―アーユルヴェーダで食べる朝昼夕晩

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久しぶりの"Le Passage"

実に久しぶりに三宮のフレンチレストランrestaurant Le Passageへ行ってきた。
(お店のウェブサイト: http://lepassage-kobe.com/index.html
ここはお昼に夜のお料理もいただけるので、今回は真っ昼間からディナーメニューを。

年に1回行くか行かないかの細々としたペースではあるけれど、ちょくちょくと訪れて、もう15年のお付き合い。シェフも「もう50近くなりましたし…」と、ジムに行ったり健康管理に気をつけているのだとか。頑張って、ずっと美味しいお料理を提供して下さい。happy01

ここのお料理は、一皿一皿がしっかり個性的かつ創作的なので、正統派フレンチを想像すると「ちょっと違う…?」ということになるかもしれない。
ボリュームもたっぷりで、数年前一人でランチに入ったときなど、シェフが「あの、大盛りにしときましたけど、多すぎませんか?大丈夫ですよね?」
って、そんなサービスありかいsign02 (お付き合いが長いので、私が大食いなのが知れているsweat02

ここでは基本的にいつも違うお料理が供され、今回も定番のフォアグラと平飼い卵はあるものの、肉料理のメインは鴨の赤ワインソース。一見甘いマデイラソースのようだが、甘くなく、しっかりコクがある。

せっかくなので、写真cameraを添付してみます。P1030016P1030014_3
P1030015

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About "Regression therapy"

「Regression therapy」という言葉に最初に行き当たったのは、Rolling Stone誌のアクセル・ローズのインタビュー記事だった。ガンズ・アンド・ローゼズがようやく2枚目のオリジナルアルバム『Use Your Illusion I&II』 の2枚をリリースして約1年後、1992年の話である。

デビュー当時からその発言や行動で物議をかもすことの多かったガンズ・アンド・ローゼズだったが、特にボーカリストのアクセル・ローズは、女性への虐待的な行為やホモセクシャルへの差別的発言などが問題となっていた。

そのインタビューを読むと、彼は心理療法家の下で治療を試みていたようである。
その治療の中、「Regression therapy」によって、受胎時にまで記憶を遡ったのだという。そして、そこで心の奥に押し込んで、意識の上では存在しないものとしていた自分の問題の原因を見出したのである。
アクセルの発言の一部を引用しよう。

“...what I found out in therapy is, my mother and him (*Axl’s biological father) weren’t getting along. And he kidnapped me, because someone wasn’t watching me. I remember a needle. I remember getting a shot. And I remember being sexually abused by this man and watching something horrible happen to my mother when she came to get me.
.................
I got a lot of violent, abusive thought toward women out of watching my mom with this man. I was two years old, impressionable, and saw this. I figured that’s how you treat a woman.
................
Homophobic? I think I’ve got a problem, if my dad fucked me in the ass when I was two.”

この記事を読んだとき、私はまだ高校生だった。本などで、子供への性的虐待についてまるっきり知らなかったわけではなかったけれど、わずか二歳で、実父からこのような性的虐待を受けたという告白が有名ミュージシャンから出たというのは、かなり生々しく衝撃的だった。

それから約20年。ふとしたお喋りから、「退行催眠」について聞くことがあった。
もしやこれは「Regression therapy」のこと?
「そうか、日本でもそういう催眠を用いて年齢退行していくという療法を行う心理療法家がいるのだなあ」と思い、「そういえば日本の今の心理療法ってどんな感じなんだろう?」と、ちょっとぐぐってみることに。

ところが。これが、随分私の考えていたことと違っていて、驚くこととなる。

Googleで「退行催眠」と入れてみると、ばばばっとヒットしたのは、「前世退行催眠」「前世療法」というものばかりだった。

前世??あのう、私は心理学とか心理療法のことについて調べたいのであって、オカルトとかニューエイジとか、そういうのは要らんのだけど…sweat02 

とはいうものの、好奇心に駆られていくつかのサイトを見てみると、要するに「催眠で年齢を退行していって、そのまま前世にまで戻る」ということのようである。
で、その「前世療法」とか「前世退行催眠療法」とか、そういうのをやっている方々の肩書きは、精神科医や臨床心理士ではなく、「ヒプノセラピスト(=Hypnotherapist?催眠療法士?)」となっていた。そんな肩書きというか資格があったんでっか??

うーむ。前世?
てゆーか、いつの間に「Regression therapy」って、前世を見るもんになっちゃったんだ?私は催眠というのは、医師や臨床心理士が治療を行う際、必要に応じて一種のツールとして行うものだと思っていたのだが、違ったのだろうか。(^_^;)

調べてみると、退行催眠と前世研究というのは、カナダの生化学者であり精神医学の教授であるイアン・スティーブンソン氏(Ian Stevenson, M.D. 1918-2007)による著作『前世を記憶する子供たち』が有名であるらしい。スティーブンソン氏は30年以上に渡って世界中を回り、子供たちの語る3000以上の過去世を記録している。
また、アメリカの精神科医ブライアン・L・ワイス氏(Brian L. Weiss, M.D)の著作『前世療法』がベストセラーとなり、これが前世退行催眠というものを広く一般に知らしめることとなったようだ。

但し、晩年イアン・スティーブンソン氏は、University of Virginia, Health Systemのサイトに、“Concerns about Hypnotic Regression”という退行催眠に対する危惧と警告の記事を発表している。。(http://www.healthsystem.virginia.edu/internet/personalitystudies/regression.cfm

この記事の内容によると、「催眠下の状態というのは、夢を見ている状態とほぼ同じで、従って、催眠下で語られた事柄は、基本的にその人の潜在意識によるフィクション或いは想像の産物である。」という。

しかも、催眠中に見たことが鮮やかでリアルであるとか、内容の整合性があるとか、歴史的事実や詳細に及んでいるとかいうのは、本当の過去の記憶か想像の産物かということを区別する根拠にならないのだそうである。
相模女子大学の石原勇一氏は、それを次のように説明している。

「多くの人が前世体験を事実と考えるのは、イメージがとても鮮明で強烈な印象を与え、イメージが自律的に展開することがその理由である。イメージの鮮明さについては、ロフタスの実験で実証されたように、客観的記憶よりも偽記憶の方がむしろ鮮明になるのだから、当然客観性の根拠にはならない。催眠療法やイメージ療法を実施すればわかることであるが、深いリラクセーション状態に入れば、客観記憶であろうと想像であろうと、非常に鮮明で明瞭なイメージを見ることができるのである。そしてそのような体験は、極度に集中かつ弛緩した状態であるために、現実場面以上にリアリティがあり、強烈な体験になる。しばしば催眠からさめた後に、クライエントは目を輝かせて前世体験を語ってくれる。イメージの鮮明さや体験の強烈さは、臨床的効果にはつながるものの、客観性の根拠ではない。大きな夢を見たときに、それが強烈な印象と情動的体験をともなったからといって、その夢が客観的な出来事だと考える人はいないのと同様である。」
http://www.sagami-wu.ac.jp/ishikawa/PLTexamination.pdf

このサイト(http://www13.plala.or.jp/socialanimal/index.html)によると、脳というのはその性質として、うまく処理できないことがあっても、何とかして無理やり何らかの結果を出力して落ち着こうとするのだそうだ。このときエラーが起き、似た記憶や無関係な記憶が結びつくこともある。そしてこれがデジャヴや前世の記憶の正体だと考えられている。「勘違い」というのもこの作用のせいであるらしい。
だから、例えば催眠下で「原因となったところまで遡って下さい」と言われて、もしその記憶が見つからなければ、脳が潜在意識やら何やら、あちこちから情報を引っ張り出して、何とか指示に応えるべくフィクションを作り上げてしまうのだそうだ。

実際、1990年代アメリカで、催眠によって、両親から性的虐待を受けたということを「思い出した」患者が次々と両親を訴えたが、調査の結果、殆どのケースでそのような事実がなかったということが分かり、大きな社会問題となったことがあったという。
とゆーことは、アクセル・ローズが「思い出した」記憶というのも、実は本当の過去の事実かどうかは分からんというわけか。

あらま~。そんでは「Regression therapy」を受けても、トラウマとなった出来事がちゃんと思いだされるとは限らんわけだ。せーこちゃん、ショック☆
それに、怪しみつつも、「前世が見えるのか~、それは面白い」なんて、ちょっとばかし頭の片隅で思ってたのに。

まあ前世とか輪廻転生があるのかないのか分からないけど、あるにしたってそんな簡単に見えちゃうわけ、ないよな~。coldsweats01

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「端っこ」問題

よく首都圏の人々が話す言葉を「標準語」というけれど、私はそれにずっと違和感を感じている。とはいえ、別に私はナショナリスティックな関西人として、こう言っているのではない。

昔、小学校の国語の時間に、「もともと日本語の正式表記は漢文であったが(近代では漢文の書き下し文?)、明治に入ってから言文一致運動の結果、首都圏・関東方言を基礎に“標準語”というものが作られた」というように習ったからだ。そうですよね?
ただ、戦後は「標準語」というと、その他の方言はそれより下だというのか?という意見もあり、現在では「共通語」と呼んでいる、とも。

だから「共通語(標準語)」というのは、本や新聞などでの書き言葉であり、話し言葉としてはテレビのニュースやドラマといったものでのみ話される、一種人工的な言葉なのだと理解していた。

日本語を勉強してから初めて来日した外国人の中に、「日本語は地方の訛りが色々あるから、日本語を学ぶなら東京に行くべきだと聞いたが、“じゃんじゃん・さ~さ~”言ってて、何を言ってるのかさっぱり分からん。日本人の話しているのは、習った日本語と全然違うではないか!」と怒る人が実際にいることからも、首都圏の普通の人々が「標準語」など話していないことは明らかだ。

但し、基本的な語彙やアクセントは、勿論共通語(標準語)のそれと同じ(筈)である。
何か許可を求められてそれを却下するときの言葉は、関西の方言である「あかん」ではなく、関東地方の方言である「駄目」という言葉が標準語として採用されたのだからこちらが「共通語(標準語)」である。また標準アクセントでは「怪我をする」というとき、「怪をする」と言う。(関西方言では、「我をする」)

なのだが。「共通語(標準語)」に採用され損なっていると思われる関東方言が。
それは「端」。

子供の頃、『ドラえもん』などのマンガの台詞で、「端」のことを「はじ」「はじっこ」と書いてあって、文脈から「端」の意味だろうとは推察できてはいたものの、なんで「はじ」やねん?と疑問に思っていた。
「端」の読み方の基本は、やはり「はし」であって「はじ」ではないと思う。
パソコンでは「はじ」にも一応「端」という文字が変換対象に含まれてはいるけれど、広辞苑を見てみると、「はじ(端)」は「ハシの訛り」とあるから、やはり共通語(標準語)として採用されているのは「はし」のようだ。

私は個人的には「はし」だろうが「はじ」だろうが、どちらを採用しても別に構わないと思っているのだけれど、疑問としては、何故「はじ」が「端」の読み仮名として採用されていないのだろう、ということだ。
標準語が設定された際、その基礎となったのは「首都圏の山の手言葉」ということだったから、「はじ」は下町言葉で山の手では「はし」だったということ?
うーん、どうしてなんだろう…。

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『Pride and Prejudice』

ずっと前に購入して、観ていなかったDVDがあったのを思い出した。
ジェーン・オースティン原作の『Pride and Prejudice』である。

『Pride and Prejudice』は、最近では2005年にキーラ・ナイトレイをエリザベス・ベネット役に映画化され、日本では『プライドと偏見』という邦題のもと公開されていたけれど(昔からの翻訳タイトルである『高慢と偏見』やったら、あかんかったんやろか?)、私が持っているDVDは、1995年BBC制作のテレビシリーズの方である。確か1話50分ちょいで、6回くらいの放送だったかと記憶している。主演はコリン・ファース。

ヘレン・フィールディングは、『ブリジット・ジョーンズの日記』のマーク・ダーシーを、このBBC版のコリン・ファース演じるMr Darcyのイメージで創出したらしい。(映画化されたとき、マーク・ダーシーを演じたのは、コリン・ファースだった。作者の夢叶うってことか?)

このBBC版の『Pride and Prejudice』、ロンドンに滞在していたとき、BBCで2回分ずつ再放送していたのだが、見逃した回があったので、帰ってからわざわざアメリカのアマゾンからDVDを取り寄せたのだった。

昨日ほぼ半日かけてこのDVDを全部見終わったのだが、さすがに長い。
このBBC版は、ジェーン・オースティンの原作に、わりに忠実に制作されたようだ。
そういえば原作の『高慢と偏見』は、文庫本にして上下巻と結構な長編だった。
(映画版、この長い話をどうやって2時間程度に収めたんだろう…)

昔、この原作本を読んだときは、「なんかぐちゃぐちゃすれ違って、鬱陶しい話だなあ。ほなもうええやんか!」と苛々し、途中で読むのを放棄してしまったのだが、今になって改めて映像を伴って観てみると面白かった。

当時は、欧州の階級社会というものがよく分かっていなかったし、血気盛んな(?)10代だったこともあり、19世紀のスローなペースで物事を運ばれると、つい苛々してしまう。
「そんなわけのわからんことを言ってる暇があったら、もっと人生大事なことがあるやろ!」などと思ってしまうのも、まあ致し方ないかと。
中学生に「自由のない階級社会での微妙な心理や会話を描いた人間群像劇」みたいなものを見せられてもなあ…あははは。(^_^;)

川原泉の『笑う大天使』というマンガでは、三人の女子高生が『源氏物語』を読んで、架空の人物である主人公、光源氏に真剣に腹を立てるという場面がある。
「この平安人は色恋沙汰以外な~~んも考えとらんぞ」
「あ~~~… 人間としてもっと考えることは他にもたくさんあるのにね。
国家の権力構造に対する疑問とか~  社会的な矛盾に対する怒りとか~」
と、彼女らは語り合うのだが、これと似たようなもんですな~。

このストーリーは、ベネット家の5姉妹のうち、主人公は次女のエリザベスとなるのだろうが、考えてみると、こういう「姉妹もの」って、次女を主人公にというか次女の視点で描かれるものが多いような気がする。

『細雪』は、4姉妹の次女、幸子を一種「傍観者」的立場に置いて、幸子の視点を中心として全体が描かれていた。
『若草物語』も、次女のジョーを中心に物語が展開していく。
次女って、長女ほどダイレクトに両親と関わらなくて済む上、真中の位置で妹達とも関わることが多いから、主人公に据えやすいわけですな。

私は『アナザー・カントリー』より20年来、コリン・ファースが好きだったこともあり、このDVDにはわりに満足しているのだが、この『Pride and Prejudice』、その他のキャスティングに関しては、ちょっと難ありかと…。要するにベネット家の長女、ジェーンと次女のエリザベスが。

えーとその。確かどちらもまだ20歳前後、次女のエリザベスは20歳前という設定だったと思うんだけど。とてもそうは見えんのだが…。
残念ながらどちらの女優さんも老け顔なんですよね。実年齢はそんなに行ってない筈なんだけど。多分、当時まだ25、6だった筈。
しかも二人とも、とても美しいという設定だった筈なのだが。(←とても失礼…sweat02
特にこのジェーン、「She is the most beautiful creature I ever beheld!」と絶賛されるほど綺麗かなあ??それならやはりロザムンド・パイクとキーラ・ナイトレイの方が適役であるよーな気がする。
見た目より、演技力が優先されたんやろか…。

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夏なので…

何とはなしに気持の悪い場所というのが存在する。
あまり近づきたくないなあ、とか、意識はしなくとも自然と足が遠のく場所であるとか。

私は特に今まで幽霊とかそういうものを見たことはない。
見たことはないのだけれど、小さい頃からものすごい怖がりだった。今でもどちらかというと怖がりの方だと思う。「見たことがないのに何で?」と言われることもあるが、見たことがない人の方が「見えたらどうしよう」という思いがあるからか、怖がりなんじゃないだろうかと推察するのだけれど、どうでしょう?

が、一説によると、見たことはないからといって、妙なものと縁がないかというと、そうでもないらしい。友人とこの前長電話をしていたのだけれど、彼女曰く、

「せーこちゃん、もしかして冷え性気味じゃない?
やっぱり。異常に怖がりで冷え症って、典型的な霊媒体質よ、それ。
何、見えないから霊感がない? だからあるんだってば! あるから怖いんでしょうが」

…あのう、怖いからやめて~~sweat02

数年前、ある会社に勤め始めることになった。
ところが、仕事開始からわずか一週間で左半身にヘルペス(帯状疱疹)を発症。
まあこれは病院に行って普通に薬を飲んで、ほどなく治ったのだけれど、その後も何だかんだで調子が悪く、果ては正体不明の鬱症状が出てきて、不眠、食欲不振。何となく左肩から腕が重い。左手をぐっと握ってゆっくり開くと、子指が勝手に不審な動きをする。
知人に紹介された人にお祓いまでしてもらったが(何か色々ついてきてると言われた)、結局その会社は、試用期間の3ヶ月を待たずして辞めてしまった。で、辞めたあと、徐々に鬱に伴う不眠や食欲不振は回復することとなった。

ところで、その会社を辞めたあと、何人かの友人にその話をした。
と、その会社のあったあたりについて「確かにあの辺、何となく嫌な感じだよね」「私、あの辺にはあまり行かない」と言う人が続出。試しにその他の場所についても、「もしかしてあそこも気持ち悪くない?」と言うと、不思議なことに大体意見が一致している。

こういう「どういうわけか足が遠のく」場所のいくつかは、ラブホテルや風俗店などの集まる、いわゆる「あまり柄の良くない」地域で、そのせいもあるのかと思ったのだけれど、考えてみるとそういう地域には、何故か場違いな感じでお寺や神社も存在することが多いような気がしませんか?
お寺や神社がある、ということは、何かが「祀られている」ということである。
何かが祀られる必要があったということですね。

とはいえ、それが一般的に言うところの「死んだ人の幽霊」であるのかどうか、よく分からない。ただ、念というか思念というか、そういうものがある場所澱んでいて、風というか気の通りが悪いということなのかもしれない。もしかしたら風水の専門家に訊いたら、分かる可能性あり?

寺社の敷地というのは、神聖にして清浄なのではないのかと思っていたのだが、必ずしもそういうわけではないらしく、上手く「昇華」されていない何か(思念というのか霊というのか)が溜まっていることもままあるという。

その勤めていた会社の所在するあたりは、昔の処刑場だったらしい。で、風俗街のすぐ近くでもあり、そしてお寺もあったりした。
とはいうものの全体的には、そのエリア一帯は、大阪の中でもごく普通の繁華街の中で、オフィスビルも飲食店も多数ひしめいているのだけれど。

大阪市内も含め京阪神の街、特に京都や奈良なんてことになると、全体的に歴史が古い分、過去にどんな戦争やら処刑やらがあったか分かったものではない。
そんな場所なんて五万とあるだろうから、まあ気にし過ぎることもないのだろうが、ただ、ある知り合いの方が言うには、

「神経質になることもないけれど、あなたが気持ちが悪いと思った場所には近づかないのが正解です。“気が合う”・“気が合わない”って言うでしょう。こういうのは直感に従っておいた方がいいですよ」

ということである。見たことない人も気をつけましょう。ふふふ。

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マルガリータのレシピ

またまた酒の話題で恐縮ですが。

ちょっと前、知り合いのメキシコ人の人と飲んでいたときのこと。
そのメキシコの人、テキーラの国から来ただけあり、よく飲むこと飲むこと。
で、その人とマルガリータの話になった。

さて。マルガリータ(フローズン・マルガリータ)というと、通常のレシピでは、テキーラ、レモンorライムジュース、トリプル・セック、氷をミキサーにかけたもの、ということになっているかと思う。
で、勿論トリプル・セックが入っているから、ちょっと甘いことは甘いんだけど、私は意外とこのカクテルが好きである。

が、そのメキシコの人曰く。

「マルガリータ?普通はね~、テキーラとレモンかライムジュース、で、あと氷ね。
ストロベリー・マルガリータなら、そこに苺と。そんだけ。
いやあ、マルガリータ、美味しいよねえ」

ありゃ、トリプル・セックはなし?

が、先日スーパーでテキーラを見つけたんで、これだけで作ってみると、これがあっさりしてて美味しい。
ネットで調べたレシピでは、だいたいクラッシュアイス1カップに対し、テキーラは90mlくらい。そこにトリプル・セックが30ml、レモンかライムが60mlくらいとあった。
テキーラの割合は意外と少ない。で、増やしてみたら、妙にテキーラ臭くなった。wobbly
うーむ、やはり書いてあるレシピは莫迦にならんな。とゆーことは、バーやレストランで出てくるマルガリータって、そんなに強くないってことか。

このあと、ミキサーにかけるのが面倒になって、手抜きをしてグラスにいっぱい氷を入れ、半分くらいテキーラを注ぎ、レモンをたっぷり絞ってペリエを注いだら、これがまた旨い!困ったことにいくらでも飲めてしまう。
アル中になりかねん。適当にしとかんとあかんな…sweat02chick

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